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■中上 健次の生涯
(Wikipediaより引用し一部編集しています。内容の正確性は保証できかねますのでご了承ください。)
1946 年8月2日、和歌山県新宮市に父・鈴木留造と母・木下ちさとの間に生まれる。実父である留造は健次が生まれる以前に別の二人の女性の間に女児二人をもうけており、健次が生まれてのちにちさと別れ、上記のうち一人の女性との間にさらに二人の男児をもうけている。母・ちさは前夫・木下勝太郎との間に5人の子供を生んでおり、留蔵と別れたのちに一子を連れた中上(なかうえ)七郎と暮らすようになる(健次が中学の時に入籍)。したがって中上健次は「母方で言えば三男、父方で長男、戸籍上で長男、育った家庭では次男という複雑極まりない状態」(「又三郎」)で少年期を過ごすことになる。お婆さん子だった母から物語を聞かされながら育ち、後の文学世界の形成に大きな影響を受けた。
1953年、新宮市千穂小学校入学。自然の中で山遊びをして過ごす。小学6年も終わりのころ、12歳年上の腹違いの兄・木下公平が首吊り自殺。大きな衝撃を受け、作家となってのち幾度もこの出来事を題材としている。新宮市緑ヶ丘中学校を経て、1962年和歌山県立新宮高等学校に入学。体の大きかった中上は中学生のころは不良青年であったが、一方で精力的に本を読み始め、高校ではマルキ・ド・サド、セリーヌ、ジュネを愛読する一方、当時新進作家であった大江健三郎、石原慎太郎などを含めおびただしい量の読書をした。高校在学中、処女作「赤い儀式」を制作。
1965年、大学受験の名目で同級生とともに上京。予備校生として仕送りを受けながら東京で生活する。同年『文芸首都』の会員となり「十八歳」を同誌に掲載。この時期は新左翼運動に傾倒、モダンジャズにのめりこみ、『詩学』『文学界』などの各誌へ作品を投稿する。高田馬場、代々木、沼袋、練馬と移り住んだ。1968年、『三田文学』を通じて柄谷行人と知り合い、柄谷からフォークナーを勧められ大きな影響を受けた。1970年に『文芸首都』を通じてかすみ夫人(紀和鏡)と結婚。夫人の妊娠、結婚をきっかけに肉体労働を始め、8月から羽田空港で貨物の積み下ろし業務に従事。その後軽子やフォークリフトの運転手などを経て執筆に専念。1973年以降、「十九歳の地図」「鳩どもの家」「浄徳寺ツアー」が続けて芥川賞候補となる。
1974年、「岬」で第74回芥川賞受賞。戦後生まれで初めての受賞者となり話題となる。1977年、「岬」の続編である代表作『枯木灘』発表。紀州を舞台に、肉体労働に従事する青年を中心とした血族の物語を緊密な文章で描き高い評価を得る。同作品で毎日出版文化賞、芸術選奨新人賞を受賞。以後実母をモデルにした『鳳仙花』(1980年)、高貴な血を引く若者たちの宿命を描いた連作『千年の愉楽』(1982年)、『枯木灘』に続く長編『地の果て 至上の時』(1983年)、谷崎潤一郎の『春琴抄』への「心からの和讃」とした連作『重力の都』(1988年)などを発表していく。
1992 年8月12日、腎臓癌のため和歌山県那智郡勝浦町内の日比病院で死去。享年46歳。『鰐の聖域』『異族』が未完のまま残された。
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